嚥恋(言語聴覚士ヒューマンシリーズ第5弾)
本作のテーマは、「嚥下障害」と「恋愛」ではありません。
本当に描きたかったのは、「食べること」と「人とのつながり」です。
脳卒中の後遺症で嚥下障害を抱えた元大工・榊原宗一は、大切な人を失ってから、一人で食事をする日々を送っています。
そんな宗一の向かいに、ある日、一人の女性が座ります。
元小料理屋の女将・藤島文子。
二人は大きな言葉を交わすことはありません。
「おいしいですね。」
「今日はゆっくり食べていますね。」
そんな何気ない会話を重ねながら、少しずつ同じ時間を過ごすようになります。
二人を見守るのは、言語聴覚士の佐倉結衣。
「安全に食べること」と「幸せに食べること」の間で揺れながら、一人の医療者として、そして一人の人間として成長していきます。
私は言語聴覚士として、多くの嚥下障害のある方と関わってきました。
リハビリでは「安全に食べること」がとても大切です。
しかし臨床では、それだけでは語れない場面にも数多く出会います。
誰かと一緒に食べることで食欲が戻る方。
家族と食卓を囲む時間を何より大切にされる方。
「またみんなと同じものを食べたい」と願う方。
そうした経験が、この物語の土台になっています。
『嚥恋』には派手な展開はありません。
告白も、大きな事件もありません。
それでも、同じ食卓を囲み、一口を飲み込むまで静かに待つ時間の中に、人がもう一度前を向く力があることを描きたいと思いました。
この作品を通して、嚥下障害について知っていただくことはもちろん、「食べる」という日常の尊さや、言語聴覚士という仕事の魅力も感じていただけたら嬉しく思います。


